ビジョン


① 人の持つ様々な価値の再発見と互恵交流の支援します。

ここ数年、政府号令の下、「働き方改革」が叫ばれてきました。特に労働時間の短縮は、長時間労働が恒常的であった企業・組織で働いてきた人々にとっては、従来から社会問題化していた過労死を生む過剰労働の抑止や、就業時間を意識した仕事を求められた結果が効率化につながるなど、労働環境が改善され、人々の健康や時間の自由度が向上することで、ができはじめてきました。その一方で、アルバイトやパートタイム労働者、残業代を前提に生活費を確保してきた人々にとっての所得の低下や、生産性、効率化を重視するあまり、チャレンジャブルな仕事がしづらい、とことんやることによるスキルアップの機会が減るなど、個人の金銭的、能力的な資産を築く機会が減ったと感じる人も少なくないと思います。そこで企業側も労働時間の制限に合わせ、社員の副業を認める風潮が進みつつあります。

このような日本人の労働環境の変化を前向きに捉えると、これまでのような、正社員になることを第一とした企業・組織への所属と、、さらには能力開発の基本、という企業中心の考え方から、個人がそれぞれ能動的に時間を活用し、自分の思うように、自由に活動し、その結果として、むしろような、そんなができないものか。

時代が変われば自分自身の興味が変わるのも当たり前。これまでの日本の終身雇用を前提とした安定性のある人材活用より、自由に転職可能な流動性のある活用の方が、個人にとっても社会にとっても都合がいいのではないか。

少しずつではありますが、日本もその方向に向かいつつあり、今回のコロナ禍で加速する機運があります。

社会がするようになれば、個人もになり、ができる可能性が高まります。

しかし、ここでもう一歩踏み込んで考えてみると、「自分自身の価値」といった場合、一般的には、自分の「得意」を発揮する、社会の役に立つ「スキル」を身につける、というような意味にとられがちですが、役立つ。「得意」や「スキル」はたいてい、すでにその価値が世の中に認識されたものであり、需要があって、レベルが相対的に優位なもの、という場合が多い。

構造は、現在のという構造に比べれば、非常に大きなパラダイムシフトではあります。

そんな流れの中で私たちトリブライトは、を大きな目標としながらも、その変遷を、と考えています。

社会構造の移り変わりは非常に緩やかですし、その気運が高まりつつあったとしても、急に会社を辞めて、特技で生きていくように舵を切ることは困難です。当然に今までのスタイルを変えたくない人も相当数いるでしょう。「何かができるから価値がある」だと、既存の価値に当てはめられてします。

そのため、まずは大きくライフスタイルを変えずに、今のままの自分の中から、少しずつ「価値」を見つけていく。「価値」は相対的なものなので、自分では価値とは言えないものであっても、背伸びしない自分を適切な第三者に届けることで、隠れている「価値」が見出される可能性が生まれる。

一人ひとりに大きな行動変革を求めるのではなくて、それよりも、一人ひとりは思うところを、もともとのやり方で自然に振る舞うところに他者が価値を見出した方が、公平で誰もが恩恵を受けることができる、と考えます。

私たちトリブライトは、昔から変わらず存在するもの、新しい技術や生活様式により忘れ去られたもの、まだその価値に誰も気づいていないものなど、人や社会に内在するものの中から、その価値を見出すことで、「」を目指します。

人は、社会的文脈、例えば職場での役職、友人や趣味仲間との交流、子供の親、自宅での一人時間、過去の自分など、生活シーンによって異なる自分を無意識のうちに演出します。職場で働く姿、趣味に没頭する姿、家族と過ごす姿、は第三者には全く異って見えている。そしてそれが同じ立場や同じ関心を持つ第三者であれば、高い共感を持って輝いて見えることもあると思います。その第三者から見た魅力は、本人に自覚がなくても、その人の「価値」と言えます。

「得意」や「スキル」は本人の自覚がありますが、「無自覚な価値」ももっといっぱい潜在していて、それらが可視化され、必要な人に届けられれば、その人の価値が増幅されるのではないかと思っています。

今のSNSは自己発信が主流なので、意識的に自己演出された「価値」で溢れています。そのこと自体はとっても意義のあることだと思いますが、個人中心の社会に移り変わっていくにあたり、従来、所属した企業や組織の中で、半ば偶然に見出されて磨かれていくような価値の発揮の仕方も、とっても大切なことだと思います。極論すれば社会で暮らす、ということはそういうことだと思います。

そのような、、の実現を、私たちトリブライトは目指します。

自分では何ができるか分からないから、とりあえず企業や組織に所属する、といった従来の職業選択のようなケースを、個人活動でも可能にする。そして、いい上司に恵まれなくて、自分の良さが発揮できない、といった不幸な原石も、ネットワーキングの技術で、きっと誰かが気づいてくれる。

そう考えると、未来が明るく見えてきます。

狭い組織では、どうしても限られた仕事やポストの取り合いになって、自ずとになります。それに変わって、広い世界で多様な価値が認められるようになれば、自ずと、になります。

それは

個人の価値が見出されることも、それが発揮され世の中に認められることも、すべては人と人のから生まれます。

人同士が認め合う社会、人同士が寄り添い、助け合う社会、その好循環が生まれてこそ、個人が伸び伸びと、自分の思うところに従って、自分のストーリーを生きることができる。まだまだ理想的な世界かもしれませんが、現在のテクノロジーがそろそろその夢を叶えてくれそうな気配を感じています。

「個人の持つ様々な価値の再発見と人々の互恵的な交流」

それは、シンプルに言えば、

」 と 「

私たちトリブライトは、この二つの言葉を大切にして、世の中の変革に貢献していきたいと考えます。


② 社会や生活様式の変化を、「人にやさしい」方向に導く、「文化的な」テクノロジーの活用を目指します。


進化するテクノロジーによって実現される変革や創造に、関心や資本が集中しています。それらのテクノロジーをどこに、どう使うか、新たに可能になること、何か面白いことはないか、といった視点から新しいサービスが次々と開発され、私たちの生活も急速に変わっていく様相です。

しかし、その変容は、ともすると「テクノロジーを活かす」ことが優先され、その新規性故の利益率の高いビジネスとして過剰に展開され、必ずしも人々の暮らしや社会の豊かさにつながらない面が出てくることも懸念されます。そして、将来的には幅広く価値を生むサービスであったとしても、そこに至るまでには、利用者のスキルや利用機会、経済面などの格差や都市部優先、グローバルスタンダード優先などの偏り、さらには現状の米国主導のプラットフォーマーにゆだねざるを得ない状況など、超えなければいけないハードルがあり、私たちの生活に不可欠な基盤として、一人ひとりの役に立つものになっていくものか、大いに不安があります。

そんな中、私たちトリブライトは、まさにインターネット、AIの応用が加速する今こそあえて、

」よりむしろ、「」にフォーカス

していきます。

もちろんテクノロジーによって劇的に改善する問題、課題はたくさんあります。それらを否定するものではありません。科学的手法を排除しようとしているわけではなく、人間を読み解く手法としてはそれだけでは不十分、という意味です。

これまで国や地域で受け継がれてきた、社会の行動様式や思想、芸術、制度その他さまざまなものを、あらためて人文的発想(※)でとらえ、そこに今の時代の文脈を加味して考えてみる、というアプローチで、新しいサービスや製品を生み出すことに私たちは取り組みます。

そうすることで、テクノロジーによって生み出される新しい道具が、人間の使う道具として自然なものであること、そしてそれらの利用が文化的であること、そこに拘っていきたいと思っています。

撞着語法(オキシモロン)という修辞法があります。

「急がば回れ」「負けるが勝ち」「小さな巨人」「優しい悪魔」、両立しない言葉を並べて、言い回しの効果を与えるものです。

それに倣って、私たちは、このアプローチを、「」と呼んでいます。

※ Sociology(社会学)、Philosophy(哲学)、Literature(文学)、Anthropology(人類学)、Historical Science(歴史学)、Helping Spilit(助け合い精神)、Health Oriented(健康志向)、Artistic(芸術)etc.